東三河の中心都市・豊橋市から「豊川」沿いに北へ向かうこと約60km、平らだった道もにわかに急坂となり、両岸の谷も眼前に迫る「池場の峠」。

 ここは、豊川水系と天竜川水系の分水嶺。この峠を越えて見える重畳の山並み。ここが、「花祭りの里 東栄町」です。

位置

 東経137度と138度の半ば、北緯35度の少し北、愛知県の北東部に位置し、町の東端は静岡県に先を接する三州と遠州の国境の町でもあります。

地形

東栄町 全景

 町の最高地点、標高1,016mの明神山を筆頭に700mから1,000m級の山々が峰を連ね、その間を縫うように、概ね西から東へ向かって天竜川水系の大千瀬川や奈根川が深い谷を刻んでいます。
  大千瀬川の東端は遠州境でここが標高170mの最低地点。
 距離15kmほどの隔たりでありながら標高差は850m近くあり、地形の急峻さがよくあらわれています。

 集落はこうした急流沿いのわずかな平地や緩斜面に点在し、四千人弱の町民の生活の場を形成しています。

 

面積

123.38平方キロメートル

気候

 東栄町の年間平均気温は、13.1度で、夏の猛暑にも冬の豪雪にも悩まされることもなく、暮らしやすい気候といえます。

 年平均の降水量は2,231.5mmで、全国的にみると多い方に入っています。特に6月から9月までの夏季に多く、この期間中に年間の半分を超える降水があります。

植生

照葉樹林帯に属してはいるものの、落葉樹林帯に近いとされています。原生林の姿は落葉樹林が多く、常緑広葉樹の林は多くありません。町の山林の多くはスギ・ヒノキの人工林に覆われています。

歴史

 人の住んだ歴史は古く、縄文時代前期の遺跡も多く残ります。鎌倉時代の様式を持つ「設楽城址」は、この地に武士が存在したことを裏付けています。江戸時代には17の村が存在しそのほとんどを幕府領として過ごしました。同じ領域に複数の村が混在する「入り混じり村」の形態が確認されており、これは民俗学的に特異な形態とされています。

 明治を迎え、東三河を南北に貫く別所街道(現国道151号)の大改修が行われました。この大動脈の完成は当時の産業に大きな影響を与えました。国の富国強兵策に乗り、軍馬需要に応える形で馬の一大産地となりました。同じころ養蚕業もさかんになり、江戸後期から基幹産業であった林業と共に近代奥三河を支える三大産業となりました。馬の生産は軍事事情の変化により大正の末ごろ衰退しましたが、養蚕と林業はその後も盛んに行われ、昭和30年代まで地域を大いに潤しました。

産業

 明治以降、馬、養蚕、木材の産地として時代の要請に応えてきた当町ですが、特に木材は優良な三河杉の産地としてその名を馳せ、明治以降100年にわたって町の繁栄を支えてきました。しかし近年の木材市況は財価の低迷が続き、主産業であることに変わりはありませんが、林業界に以前のような輝きは見られません。

 農業ではブロイラーと茶の生産が盛んです。自然豊かな環境で育てられた若鶏は、肉質が柔らかいと評判で、年間70万羽を生産し将来的には100万羽の生産をめざしています。

 近年、都市部住民は憩いの場としての役割を山村に求めています。これに応えるため、当町では日帰り温泉「とうえい温泉」、天文観測施設「スターフォーレスト御園」、農村交流体験施設「千代姫荘」などの施設を整え、都市と山村の交流活動を進めています。特にとうえい温泉はその泉質がナトリウム・カルシウム塩化物泉で、療養効果に優れていることから天然療養泉の認定を受けており、年間20万人ほどの入込客を数えています。もちろん花祭も重要な交流の要素の一つであり、シーズン到来を告げる花祭のダイジェスト版「東栄フェスティバル」には1万人弱の観光客を集め、以後の花祭本番への追い風を作っています。

 少子高齢化で過疎化も進んでいますが、「山のめぐみをうけ ともに築く彩の里 ~幸せを実感できる最先端の田舎を目指して~」をめざし、「交流から定住へ」取り組んでいます。


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